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2008年03月24日

古代ギリシア・ローマ?東ローマの宦官

さてこの方々はどんな人生を送ってきたのでしょうか。
大変壮絶な人生だったようです。

宦官は、オリエントの影響を受けた古代ギリシアやローマ帝国、及びそれを継いだ東ローマ帝国でも用いられた。オリエントやギリシア・ローマでも宦官は宮廷内部の雑用係中心であったが、ローマ帝国後期以降に皇帝権力が強まると高級官僚の世襲を防ぐ為に宦官を高級官僚に用いる事が多くなった。

この為キリスト教化して後宮が発達しなかった東ローマ帝国では官僚として重く用いられ、軍隊の司令官やキリスト教東方正教会統率者のコンスタンティノポリス総主教にまで宦官が多数任命された。例えばユスティニアヌス1世の時代に対東ゴート戦争を指揮したナルセス、フォティオスと総主教位を争ったイグナティオス、ニケフォロス2世フォカスの治世からバシレイオス2世の治世初期に権勢を振るったバシレイオス・ノソスなどは宦官であった。ちなみにイグナティオスとバシレイオス・ノソスはそれぞれミカエル1世ランガベー、ロマノス1世レカペノスの息子であり、失脚した皇帝の子孫から、皇帝を狙って反乱を起こす者が出ないように去勢された者が居たことを示している。

中国の様に宦官が裏で皇帝の寵愛を背景に実権を握った例は多いが、国家の正規の官職に宦官が多数任命された国家は東ローマ帝国だけであろう。このように東ローマ帝国は宦官を重用した為、中国同様、自主的に去勢して宦官を志願したり、親が子供の出世の為に子供を去勢してしまう事例が出て来た。またキリスト教の普及に伴って、自ら欲望を絶つ目的で去勢する者も現れた。流行は凄まじく、民間での去勢を禁止する勅令が幾度も出されるほどであった。

11世紀末-12世紀に入って、軍事貴族出身のコムネノス王朝が成立すると、11世紀まで文官官僚として軍事貴族と対立していた宦官の勢力は弱まっていった。その後、12世紀末以降帝国が衰退していくに連れ、宦官の供給源となる属州が失われ、帝国の財政力も低下していった為、要員を雇う事が出来ず宦官は激減していった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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